日本
北海道の亜麻
日本で亜麻が知られるようになったのはいつ頃でしょうか。 経路は主に2つ、ひとつは中国から、もう一つはヨーロッパから、いずれも江戸時代に薬用として入ったといわれています。 これについては回を改めてご紹介できればと思っていますが、 今回は日本で本格的に亜麻が栽培されるようになった時代についてご紹介します。 日本で本格的に亜麻栽培が始まったのは、明治に入った北海道でのこと。 薬用ではなく、繊維をとるために亜麻を育て茎を利用しました。 度重なる戦争もあった明治から昭和にかけて、軍需のために北海道の亜麻は主要な産業のひとつでした。 その会社が現在の帝国繊維株式会社。 前身の日本製麻株式會社時代よりこの社に関わり帝国繊維株式会社で 取締役会長まで歴任された山田酉蔵氏の「亜麻百年」という著書には、 亜麻が北海道で栽培され初めた頃から、幾度かの盛衰をくぐり抜けた亜麻産業の歴史が記されています。 この著書の冒頭をご紹介します。
第一章 亜麻の芽ばえ
時は、慶応三年(一八六七年)七月のことであった。夏ともなれば北海の波も静まる。朝靄の中に眠る臥牛山に、来たぞ来たぞと揺り起すが如く汽笛を響かせてロシアの商船が巴港に入って来た。この船は、宝庫北海道と呼ばしめる原種となったたくさんの農産種子を積み込んだ宝船であった。
その中に亜麻種子があった。親切に栽培から紡織に至る緒行程の手引を記した小冊子が添付されてあったので、幕吏は、官営農場で試作することにし、同時に札幌村の模範開拓者大友亀太郎に試作せしめた。このことを知った、プロシヤ人、ガルトネル氏(函館郊外の官有地を租借して農場を経営していた)は進んで試作を行ない、好成績を収めたという嬉しい話題もある。かくして明治元年の秋には早くも北海道の広原に可憐な美しい亜麻の花が咲き初めたのである。
その頃の北海道は蝦夷地と呼ばれた荒涼の地であった。来て見れば蝦夷ども多く集りて わからぬ事の何をユウブツ という井上貫流氏の狂歌があるが、言葉も通ぜぬ辺境の地蝦夷地に、明治元年に欧米文化の表徴たるリネンの花が開いたとは・・・・・・。本年は明治百年に当るという。とすれば、亜麻百年ということになる。まことに感慨深いものがある。